仮面(元)、1Kの隠れ家

心が暇なので、厨2病だった頃に思いを馳せて、痛々しいものを書きたい

社.会.からの逃げ道は芸術なのか?

これは偏見だが、芸術に携わる人間は社会のはぐれ者だ。


偏見と言っても無根拠ではない。学生時代を思い返して欲しい。部活動で芸術系の学部にいる人は、どちらかと言うとクラスのムードメーカーといった類の人間ではなかっただろう。他人に理解を求めず、他人を理解しないような人間こそ芸術系の部活動に多かった気がする。
これを分かりやすくいえば、陰キャスクールカーストの底辺、と言ったところか。彼らを少なからずそう評価していた人はいたはずだ。


美大に行った知り合いは、明るく友達も多かったが、ついぞ誰にも理解されず、彼も周りの人に興味がなさそうだった。きっと本人らは肩身が狭いなんて思っていないのだろう。真の自由だ。社会のはぐれ者でありながら、自分は自分の中、もしくは狭いコミュニティで完結し、集団を意識していない。洗練された身内ノリだ。だから画家になっても絵は売れないし、音楽家になっても成功する人は少ないのだろう。彼らは成功を見ていない。ただ自由に、描きたいものを描き、表現したいものを具現させる。


だが最近、芸術系の自由奔放さだけを見て憧れる一般人が多くなったと思う。学生時代は彼らを理解しようとせず、芸術系の職業なんて教師程度しかないと切り捨てていた彼らが、人生に頓挫した瞬間に自由に生きる彼らを羨むのだ。


芸術家は芸術を貫き、芸術家が最も生きにくい現代社会でも自分を貫き生きている。勿論苦悩した者、進路を悩んだ者、挫折しそうになった者、数多くいるだろう。しかし、現実に頓挫した人は、今までどこかで蔑み、気にも止めていなかった彼らが自由を手に入れたのを見て、ふと社会に縛られた自分と比較して羨ましく思うのだろう。


それは僕だ。


僕は彼らが羨ましい。一時は美大を受験し、美大に進学しようと志した時期もあったが、僕は芸術を将来性の一言で切り捨てた。
そして今の自分をも切り捨てる。
切り捨てた自分に逃げ道はない。芸術は逃亡者を受け入れない。来るものを拒まず、去るものを追わず。

しかし、1度去った者は拒まれる。