仮面(元)、1Kの隠れ家

心が暇なので、厨2病だった頃に思いを馳せて、痛々しいものを書きたい

配慮したく無い人への配慮

最近はデリケートなものを持ち上げて正論を言って承認欲求を満たすだけの豚共が権威を手に入れつつある。

 

例えばLGBTの例もわかりやすいが、そのような異常性癖に配慮して社会を作るととんでも無いことになる。

 

まず、自分が男だからゲイに関するエピソードに触れておこうと思う。

 

自分は中高男子寮に入っていたこともあり、ゲイをよく知っている。

 

かくいう僕も、ゲイをカミングアウトしてきた友達に、そいつが預かっていた僕宛の女の子からの手紙をダシにされ、フェラチオを強要されたこともある。

実際にそのチンポを舐めたかどうかはご想像にお任せするが、僕はゲイじゃ無いから非常に不愉快だった。

 

不愉快なのでゲイはすきじゃない。トラウマのような感情すらある。ホモフォビアだ。

 

でも、ゲイに対する配慮は社会からしてもらえるような動きなのに、僕のようなホモフォビアに対してはなんのケアもない。

 

この時点でこれらのデリケートなものに対する動きは破綻しており、ひどく歪んでいると思う。

 

最近の男女参画にも思うところがある。男女を本当に平等にするにしては女の運動能力はあまりにも弱すぎる。

国ぐるみで女の遺伝子を改造し、腕力知能共に向上させる必要性すら生じるレベルだと思う。

 

でも誰もそんなことは望んで無いと思うので、結局のところ話題性を集めて自分の権威を主張する連中のいいダシに使われてるだけなのだ。

 

僕は配慮の強制が嫌いだ。

 

見ず知らずの障害者に配慮したく無い。自分とは無縁の性癖に配慮したく無い。人種に配慮したく無い。頭の悪い人間に配慮したく無い。

 

もちろん僕が自ら配慮したいと思うことだってある。結局のところ僕も誰かを頼らないと生きてはいけないので、円滑に生活するために誰かへの配慮は欠かせないと思う。

 

でもそれはマナーの範疇であり、社会から強制される配慮はとても不自由に感じる。

 

自由が大好き某国は黒い肌のブスや醜い体つきをしたデブを無理やり映画に起用しなければいけなくなったし、アニメーションですらそれらをなぞらねばバッシングされてしまう歪んだ文化へと成長してしまった。

 

日本もいつかそうなってしまうのかと思うととてもいやな気分になる。

 

SNSではちょっとした一言が誹謗中傷となり、相手のことを配慮して発言しなければいけなくなった。

 

相手が心に何か地雷ポイントを抱えておれば、たとえ的を射た事を言ったとしても、地雷を踏み抜いた僕が悪い人間となる。

 

確かに僕はその手の「かわいそうな」人たちと比較したら地雷ポイントも少ないし、彼らの気持ちもわかってあげられないから、無神経なことをしてしまうのかもしれない。

 

でもそれを理由に僕がノンデリだと言われるのは侵害である。

 

ブスが自撮りをいきなり晒して、顔がおかしいと言えば

コンプレックスなのに!

って返してくるブス、コンプレックスは人に見られたく無いものなのにどうして自撮りを晒すのだろう、そしてどうしてコンプレックスを踏み抜いただけの僕が加害者になるのだろう。

 

本当にインターネットも生きづらくなった。

 

ここだけは自由だと思っていたのに、ここでも理不尽な配慮が強いられている。

 

だから僕はその手のユーザーは徹底的に追い詰めるし、彼ら彼女らのためにもアカウントが消えるまでボロクソに叩きまくる。

 

僕は君らに配慮したく無いし、自由に発言したい、彼らは僕のような人間から批判されずに済む。winwinだと思う。

 

公開垢で訳のわからないムーブするくらいなら「縮小」アカウントで身内と鍵付きで馴れ合ってて欲しい。

僕も流石にそこまでは切り込まないので。

 

こうやって配慮しなくて済むような真の平和なインターネットライフを僕は構築したいと思う。