仮面(元)、1Kの隠れ家

心が暇なので、厨2病だった頃に思いを馳せて、痛々しいものを書きたい

何もかも中途半端な男が学びについて語る

どうも人間の適応力とは恐ろしい程に高いらしく、2020年の上半期はあれだけ騒がれてた新型コロナウイルス関連という嫌な非日常も、何となく日常的なものへと変わってきたかのように感じる。


とはいえ今でもこの波によって経営に大打撃をくらっている事業主なんかはまだまだ大変な生活を強いられているのだと思う。
そのひとつが僕のバイト先の塾であり、僕が勝手に長期間休暇を取ってしまったので、新型コロナウイルスによる弊害で全く生徒が入らないという焼け石に、チラシ配りなんていう水をやるような営業だけでなく、物理の指導までも経営者である教室長に任せっきりだ。


そんな教室長からは、世間話とともによく愚痴が飛んでくるわけだが、大抵はこの病原菌による大赤字と本社からのプレッシャーに関する内容だ。

こうも営業しまくり、本社の人がド田舎に直々にやってきてまでも赤字続きなのは、このウイルスによる教育の状態がとても酷いからだそうだ。


例えば大手予備校なんかは除くとして、このような田舎の個別指導塾に自分の子供を通わせようと思う動機とは一体どんなものだろうか。

答えはシンプルで、子供の学校の定期試験の成績だ。
まぁ田舎だから受験を見据えて個別指導塾に、なんて人も割といるのだろうが、やはり受験より目の前の成績を何とかしたくなるのが親の気持ちである。
成績を確認するためには当たり前だが学校が定期試験をやらねばならない。しかし、このご時世、定期試験が不定期試験になってしまっており、成績としてちゃんと出なかったり、そもそも試験すら暫く行われていないところなんかもあるようで、塾に新規で生徒を入れようなんて考える親御さんはごく少数になってしまっているようだ。

つまり、学校側から受動的に子供の成績、苦手科目や得意な科目が分かるようなデータを受け取り、能動的に個別指導塾に入れさせるというある程度一般化された形態が、既に破綻してしまっているのではないかと思う。


と、ここまで長々と自分のバイト先について書き連ねた訳だが、ココ最近、学びや教育には能動的な行動が不要であると勘違いしている人々が一定数いるように感じる。


勿論これを見る人の多くは受験生、もしくはある程度しっかりと受験を経験して間もないような人達なのだからそもそも無縁の話ではあり、ましてや仮面などという余計なことをしている中途半端な僕が一々偉そうに語るべきものでもないが、我々がなろうとしている、もしくは既になっている学生の中にはTwitter等で検討はずれの主張している人が目立つのでその点に関しては目を瞑って欲しい。


新型コロナウイルスによってほとんどの大学は前期オンラインでの講義だったと思う。
僕のところも試験以外はほぼ全て非対面型の授業であり、試験も日を細かくわけた上で、大きな教室を使って受けるなどしてある程度対策が取られていた。

そして、このオンラインの講義が、多くの人に全く意味が無いと思われていることを先日知って驚いた。
あるテレビ番組では、休学届や大学届をだす学生に対して取材しており、その中の学生の一人はこう言っていた。

「大学では授業を受けるだけでなく、人と接することの方が大切であり、それが出来ないのであれば行く意味は無い。ここ1週間インターンに行ってきたが、前期数ヶ月の大学の授業の何倍も有意義であった。」

キャンパスに通えず、人と接することが絶たれてしまったことは大変残念なことであると思うが、最低限生徒が学べるような環境を1ヶ月足らずで構築した大学側の行動はむしろ賞賛されるべきものであり、オンラインだろうが対面だろうがそこで開講されたのであれば学べることはいくらでもあるはずだ。

アクティブラーニングやらグループディスカッションの講義が単なる講演型の授業になってしまったのなら、それに対してウジウジ絶望するのではなく、シラバスなんかを参照して、せっかく履修したその講義から最大限学べることを引き出そうと能動的に行動するのが、講義を受ける生徒側の最低限の責任であり、義務であるように思う。

非対面型となると、ほとんどが教授→生徒という流れの、生徒側からすれば受動的な講義の形式となってしまっているが、そこから如何に能動的に多くのことを学ぶかが大切であり、講義を受動的に聞き流しているだけではそりゃなんの意味もないだろう。

オンラインになってしまったから、大学に通えないから、なんてのを言い訳に、大学から何も学ぼうとしないその怠惰の精神では、こんなウイルスが流行っていなくともまともな大学生活は送れていないだろうし、そんな彼らが想像するキャンパスライフなんて有り得ないものだろう。

授業ひとつに能動的になれない学生に、自由な大学など考えられるわけが無い。
自由とはそれだけ行動に責任が伴うのだ。行動の責務を放棄して、やりたい事、やって欲しいことだけを主張するのは、親や先生に守られている子供だけで十分で、もうすぐ成人を迎える人や既に成人を迎えた人が発していいものでは無い。


そりゃもちろん大学に通えず、人と接することが出来ない、大学の設備を使えないというのは非常に大きなデメリットであり、仮面している僕でも不憫に思うが、この新型コロナウイルスによる影響である程度不利益を被ってしまうのは全世界共通であり、ある程度皆我慢していることに変わりはない。
大学生だけが耐えている訳では無い。

ここで大学などという様々な人が集まる教育、研究機関でクラスターなんかが発生しまくれば、それこそまた我慢続きの日常に逆戻りだ。


こういう世の中になってしまったのだから仕方がない。たまたま自分たちが我慢する側になってしまったのだから、腹を括って耐えることが、その理想のキャンパスライフとやらを送る一番の近道であると僕は思う。




あー、早く大学やめたい。