仮面(元)、1Kの隠れ家

心が暇なので、厨2病だった頃に思いを馳せて、痛々しいものを書きたい

平和になりたい

世界は争いで充ちている。

血を流し、殴り合い、罵りあうことのみが争いではない。血を流さずとも、人は常に闘争心と生存本能に駆られて生きている。エネルギーを消費してストレスを溜め込むことこそ生きることであり、一時的に得られる勝利の快感こそ幸せの体現である。
争いは小学生、いや、幼稚園の頃から始まっている。特技で対抗し、カブトムシやカマキリなどといった下等生物を発見するのに要する時間ですら競い、運動能力と学習能力で優劣を決め、遊びすらも上手い下手で争う。

人はなぜ争うのか。様々な観点から論ずることはできるだろうが、負けると悔しく、勝てば楽しい、それだけの原初的な理由で人は争い、競い合う。勿論僕も例外じゃない。常に誰かを意識し、現実では自分自身と争い、Twitterではレスバで闘争の日々を送っている。レスバしている時の僕は純粋に相手に怒り、顔を真っ赤に染め上げて憎しみすら覚えながら「争って」いる。

では平和になりたいとはどういうことだろうか。現実的に不可能であはるが、このような血を流し合うものから、単純な競い合いまで、広義的な意味での争いが全世界から消えることが平和になるということだろうか。まぁ、おそらくそうなれば人は喜怒哀楽を失い闘争は消えるだろうが、それは虚無であり平和ではない。人の感情は争いがあるからこそ豊かになり、そこに様々な機微が生じる。常に何かと競い合い、争うことこそが生きることであり、その過程で生じた勝利の快感こそ生の実感だ。負ければ悔しく、ひねくれもする。

僕は争いを辞めずに平和になりたい。誰かと競い合う中でも、敗北による憎しみや勝利による愉悦感ではなく、常に勝利をめざしながらも、心を平穏に保ち、相手を敬い、尊重できる人間になりたい。
これこそ平和になるということなのでは無いのだろうか。

今日も今日とて虫が多い。早く死滅しねぇかな、こいつら。