仮面(元)、1Kの隠れ家

心が暇なので、厨2病だった頃に思いを馳せて、痛々しいものを書きたい

負けヒロインという縁の下の力持ち

僕は「負けヒロイン」が好きである。


勘違いして欲しくないのが、負けヒロインが好きなのと、負けヒロインを自分のものにしたいという独占欲は全く別物であり、なんなら対極に位置している。

作品において、負けヒロインは純ヒロインとギリギリの競り合いをする存在であり、それでも純ヒロインにどこかほんの少しだけいつでも負けてしまう。バトルに例えると、ドラゴンボールベジータに近い。

ベジータは悟空を超えてはいけない。悟空をこえないからこそ、ベジータの良さがつまっている。
ブウ編で純ssj2だと、あの世で強者と修行していた悟空にかなわないことを認め、それでも力を欲してバビディにわざと支配されるベジータは魅力の塊である。

とまあ話は逸れたが、具体例を挙げると、ハイスコアガールで言うところの日高小春、凪のあすからの美海、ちさき辺りだろうか。


彼女たちは、何もしてなくても(何もしていないと言うより、意識してないことが主人公から好かれる要因になる)主人公から好意を向けれらる純ヒロインと違い、彼女たちは主人公に好かれるために様々な努力をする。

ハイスコアガールの日高小春はゲームを全くしなかったが、主人公の谷口ハルオともっと接点を持つためにゲームを始め、元々持っていたポテンシャルを発揮し、ハルオや純ヒロインである大野晶から強者として意識されるようになる。

しかし、ゲームが好き、楽しいという1点でプレイしているハルオと大野晶とは違い、下心ありきでゲームをしている日高小春はどうしても大野晶に1歩及ばない。


そして、本人である日高小春が1番それを自覚しているというところもポイントが高い。


どうしても勝てない負けヒロインは、時に大胆になる。

日高小春は、共通の趣味であるゲームではどうしても大野晶に1歩及ばないことにやきもきし、ある時ハルオをラブホテルに誘うことで、無理やり恋路を進めようとする。
それを自然に受け流され、ファミレスで夜を明かすことになった訳だが、当のハルオは大野晶と何気なくホテルに泊まった経験がある(当時は家出した大野晶を保護するため)。
ゲームでもゲーム以外でも1歩及ばない日高小春。ここまで惨めで、ここまで魅力的なキャラクターはなかなか存在しない。それでも諦めず、努力に努力を重ねて、最後は大野晶にその地位を譲る潔さは、勝負に負けてもヒロインとしてのステータスでは完全勝利と言っても過言ではない。



あれ、負けヒロインの良さを語るつもりが日高小春の良さを語ってないか?

まあいいか。

びわの季節

のっけから季節外れな題名である。

しかし小学生の頃に、この「びわ」という植物にいくつか思い出があるので、少し触れようと思う。

びわは、大体4月~5月、おそくて6月くらいに実がなる初夏くらいの植物という印象だ。何故か小学校に沢山植えてあり、運動場の奥の木々がおいしげるところや正門手前の中庭にも腐るほど植えてある。

大抵ちっちゃな虫がついてて汚く、この時期は地面にグシャグシャのビワの実が転がっている。



ぼくは小学校中学年くらいから、学校の中庭のビワの木から、まだ熟れきってないビワの実をむしり取り、学校の隣に併設された幼稚園の運動場に投げ込むという遊びをしていた。

ビワの季節になる度に、放課後毎日ビワをちぎっては幼稚園に投げ込む、次の日も投げ込む、また次の日も、といったふうな生活をしていた。

隣に併設されているとはいえ、坂道沿いに建っている幼稚園は、小学校の校門の前の地面より2mほど地面から高く基礎作りされた所に建てられており、さらに塀も高く、道路も挟んでいるので、小学生がビワの実を投げ入れるには少し厳しい条件であった。

しかし、僕は少年野球をやっていたこともあり、肩には自信があったので、ブンブン腕を振り回してビワの実を幼稚園に投げ入れて遊んでいた。



小学校6年生になった時、友達が階段の手すりの上の部分に寝そべって(しがみついて?)じっとしていた。
蝉のようにしがみついた僕の友達に、担任の先生は「何してんの?」と素朴な疑問を投げていた。
すると友達は「青春してんねん」と返していた。

ふと、僕はここで青春とはなんだろうと思った。
現在22の僕にとって青春とはとうに逃して過ぎ去ってしまったものであるが、当時の僕にとって、青春というワードはまだ見ぬ世界を想像する冒険前の少年のような気分にさせてくれた。

彼はいつも階段の手すりの上にしがみついていた。学年が変わっても、教室の前に階段がなくても階段を探してしがみついていた。
彼は小学校生活で突き通した自分の行いを青春だと信じて、最後まで突き通そうとしている。

そこで僕は、彼にとっての階段の手すりが僕にとってのビワと同じだということに気がついた。


そうか、これが青春なのか。


そう思って僕は、小学校生活最後のビワの季節に最後のビワの実を幼稚園に向かって放り投げたのだ。

オタクとそうでない人との線引き

ココ最近、オタクコンテンツがフェミやら行政からそこそこ酷い扱いを受けているのを、多少なりとも目にしたことがあると思う。
中には表現の自由を奪うものもあり、悪質だと感じるものもある。

しかし、これはあくまでオタクの目線にたって考えた場合のみで、その辺にいるオタクコンテンツとは無縁の人、出来ればオタクコンテンツとはあまり関わりを持ちたくないような人、という無害な第三者の目線にたって見た場合、オタクコンテンツを発信している人、オタクコンテンツが純粋に好きな人は、周りの人のことも考えて発信できているだろうか。


もちろん表現の自由は守られるべきであり、他人の目を気にしていてはコンテンツの発信なんぞできようはずもない。


しかし、近年このオタクコンテンツが様々なところで認められつつあることをいいことに、ある程度肩身の狭かった過去の扱いも反動もあってか、オタクの自己主張も目に余るようになってきたと思う。


好きなコンテンツをアピールし、発信する。これはとてもいい事だ。自分の好きなコンテンツが別の人にもいいと思ってもらえることは嬉しい。

しかし、まず最初に考えねばならないのは、オタクコンテンツとは基本的に人を選ぶものなのだ。誰もが認めてくれる、誰もが時代と共に価値観をアップデートし、オタクコンテンツが好きになる、なんて言う都合の良い話はない。

きっとオタクコンテンツが嫌いな人、そんなに好きではない人、日常であまり干渉して欲しくない人、そのような人達はそこそこいると思う。


かく言う自分もオタクである自覚はあるが、この曖昧で定義すらしにくいオタクであると自覚のある人間なら、「修学旅行のバスでボカロやアニソンを流す」「修学旅行のしおりの表紙にコミック調のイラストでデザインをする」「美術の授業の課題で、アニメ調のイラストを作品にし、画力は高いものだから展示されてしまう」といった、思い出が、自分自身、もしくは自分の周りの人に経験したことがある人も中ににはいるのではないだろうか。


これらは1部で褒められる一方、オタクコンテンツと関わりがないような、あまり嬉しくないと思うような人も一定数いるわけで、そのような人達に「あまり嬉しくない」ことばをかけられて、苦い経験をしたことがある人もいるのではないだろうか。


オタクはこのような経験を経て、自分の趣味を必要以上に人に人にアピールしなくなる、仲間内で盛り上がって楽しむ、ということを覚える。




しかし、これらの経験を経ても、それが身につかず、周りに対する配慮を知らないオタクが、近年色々なところで「表現の自由」を武器に微妙な争いをしているように感じる。



例えば梅田ロフトの女の子の半裸のイラストの件や、温泉むすめの件などで、必要以上に批判を受け入れない人達がこれに該当すると思う。


それぞれ当事者が合意して決めたことであり、それを行うことは特に問題は無いが、「ロフト」「温泉」など、オタクコンテンツと無縁の人も多く利用する(むしろ無縁の人の方が多いかもしれない)ところで、堂々とそのようなコンテンツを前に出して発信してしまえば一定の批判が飛んでしまうのは仕方ないように思える。


好きなコンテンツを批判されて悔しい、腹が立つのは仕方がないが、ある程度オタクコンテンツとそう出ないコンテンツで不可侵を守ることで調和が取れていたところに、(秋葉原や大阪日本橋のようにオタクの街というものが地区で限定されている等)自分たちから無関係なコンテンツに今回は踏み入っているように捉えられても仕方が無いのだから、表現の自由を優先し、コンテンツを突き通したいのなら、一定の批判は付き物であると割り切ってしまうのが筋である。

真正面から批判意見を「差別」だの「権利の侵害」だの面倒な方向へ話を進めるのではなく、とにかくコンテンツを排除しようとする人達やとにかく人を批判したがる人達に付け入る隙を与えないようにすべきであると個人的にはどうしても思ってしまう。


結局批判してきた人を正々堂々上手く言いくるめて何とか権利をもぎ取っても、それは悪目立ちであり良い印象を抱く人は余りいないだろう。



例えば学校の休み時間にクラスの陽キャが自分たちの机の周りでたむろしていて、座れなくて困っていたとする。
どいてくれと頼んだら
「法律に触れてますか?休み時間なんだからどこにいても自由ですよね!!」
とか言って反論されたら喧嘩になってしまうだろう。
大抵どいてくれと言えば、軽く悪い悪いと会釈されてどいてくれることがほとんどだ。社会とはこうやって上手く成り立っているのだ。


コンテンツを守りたいのなら、社会で上手く立ち回らねばならない。
それが出来ない人はオタク自らがオタクコンテンツをどんどん社会の片隅に追いやって、コンテンツ自体を潰しかねないということを理解できないだろう。


何でも規制しようとする人、とにかく批判点みつけようとする人、とにかく女性蔑視に繋げようとする人達に、オタクコンテンツを規制させる隙を与えてはいけない。


いくら表現の自由が守られるべきであったとしても、それを盾になんでも主張していい訳では無い。
社会と共存したいのなら、相手のことも考えないといけないのだ。これはオタクコンテンツに限った話ではない。どんな物事においても言えることだ。



最近のオタクは、このようなことすら分からなくなってしまったのかと思うと悲しいことこの上ない。

久しぶりだ

おはよう。久しぶりだ。私だ。


約8ヶ月ぶりということもあり、もはやブログで何を書いてたかする覚えていない。

そもそもなぜこんなものを書き始めたかに関しては「きろく、書く行為」(みたいな名前だった気がする)で触れているのでそちらを参照して欲しい。

そういう元々の理由ではなく、なぜ急に去年ブログに文字を起こそうかと思ったかと言うと、当時別にブログを更新していた人がいたので、自分もやってみたいと思ったくらいの軽い気持ちが理由である。内容は何気ない日常のこととか、ふと思ったことをテキトーに書き連ねたようなものだったと思う。

だが現在その人は更新しないどころか、ブログを全て消してしまったので、自分もどこか書く気が起きなくなって書くのをやめていたのだ。

ということにしておく。

まぁ八割型はこういった理由なのだが、何もない日常をただ平凡に過ごしていただけだったので、特に書くことがなかったのだろうとも思う。



急に更新した理由としては、少し長々と言いたいことがあったものの、それを言語化して表現する場所がぱっと思い浮かばず、モヤモヤしていた時にふとこのブログのことを思い出したので、久々に更新してみたってところだ。

この言いたいことに関してはまたそのうち書こうと思う。

Untitled (1)

自分と正反対な人と久々に話した。


彼は高校同期で、サシでカラオケに行ったり遊びに行ったりするくらい交流はあったが、正直苦手だった。
子供っぽいがゆえに陽気で元気な奴だったが、俺はそいつを何回かマジギレさせたことがある。そして、そいつも同じ回数憎まれ口を叩いて俺を苛立たせていた。
ちなみに俺はそいつとは喧嘩はしなかった。喧嘩は同じレベルの生命体同士がやるもので、俺たちがやるのはおかしい。アリと恐竜が喧嘩するわけが無い。
一方的にキレさせるか、無視するかの2択だ。俺は前者が好きだったから、よく彼に顔を殴られたり、ものを破壊されたり、カバンをちぎられたりしたが、俺は彼の全ての行為を咎めたことは無かった。

1度担任の先生に、俺の学校指定のカバンが彼に破壊されるところを目撃されたが、担任の先生が弁償するように彼に言っても、俺は普通に自分で指定のカバンを買い直した。もちろん弁償すらさせていない。


過去に犬にiPodを食われたことがあったが、その時の気持ちと似ていた。



じゃあなんでそんなに交流があったのかって話にはなるが、趣味だけは色々あうところがあって、お互いにしか通じない話も多かった。

と言っても俺はは別にこいつじゃなくても良かったんだが。

なんにせよ友達の友達は友達、それで趣味もあうんだからそこそこ交流もあるという訳だ。

そんな彼は勉強は俺以上にダメだった。いつも学年最下位で、何があっても勉強をしない。そういう所も俺と似ているが、俺は単純に勉強が嫌いだからやりたくなくてやってなかっただけ。

しかし彼は勉強以外にやりたいことがあって勉強する暇がなかったらしい。当時それを堂々と先生やら友達に言うのはどうかとも思ったが、思い返してみると彼はゲームやらアニメやらに夢中で、それ以外の、それこそ勉強、部活動、恋愛といった中学高校でみんながやりたがることの一切を拒否していた。

勉強も部活も恋愛もなーんにもやらなかったという結果だけ見れば全く同じだが、嫌いなこと、嫌なことから逃げていた俺と、やりたいことをやるために取捨選択をした彼とではそのプロセスが全く違う。


当時俺はそんな彼を見て、一応勉強をやることを1つの目的とした学校で、その動機はいくらなんでも無理があるだろう、普通に頭が弱すぎて勉強についていけなくて強がってるだけだと思ってた。

が、卒業後彼は勉強なんて全く関係ない芸術系のFランカス大学に進学し、そこで将来のことなんぞ考えてもいないアホどもとよろしくやっている。
対して俺は卒業後駿台に入り、浪人を経て何故か受かった大学に行かずに二浪し、受かった大学に進学してもそこで仮面三浪して、今に至る。

嫌なことから逃げて、やりたくないからやらなかった勉強を、今でも頑なに嫌々やり続けている俺の方がよっぽど変な奴じゃないか。

俺は彼を在学時は変なやつで頭のおかしい馬鹿だと完全に見下していたし、昨日も
「世の中の人間は90%馬鹿だと思ってる。だから車に乗ったら90%のバカに俺は殺されるかもしれない」
なんて抜かしやがるから、俺の手で今から殺してやろうかとさえ思った。


どんなに頭が悪くて、気が狂っていて、将来のことも考えられないようなボンクラ美大生のバカガキでも、親が金を沢山持っていて、尚且つ自分の道を進むだけの愚かさと考え無しな知能さえあれば人は幸せになれるのだと学ぶことが出来た。


カマキリだって虫を食ってる時は幸せだし、海中生物だって泳いでる時は楽しいのかもしれない。
所属する場所に溶け込めるだけの愚かささえ持っていれば、低レベルな場所でも人は幸せになれるし、よく分からない理由とこだわりを捨てた方が幸せになれるのだ。


俺のようにわけも分からず浪数だけ重ね、追いつけない人を追いかけて失敗して人生のどん底に叩き落とされるより、彼のようにカブトムシやカマキリのような一生を過ごすことに違和感を持たないくらい馬鹿であればもっと幸せだったんだろうなと反省している。

ゲームのやりすぎで心臓になんか病気を患ったらしく、早いうちに死んでしまうらしい。

愚かすぎて頭が痛くなった。この時ばかりはゲームを俺に頑なにやらせなかった両親に感謝した。外で元気よく遊ぶ健康的な子供でよかった。

とっととくたばればいいのに。