仮面(元)、1Kの隠れ家

心が暇なので、厨2病だった頃に思いを馳せて、痛々しいものを書きたい

オタクとそうでない人との線引き

ココ最近、オタクコンテンツがフェミやら行政からそこそこ酷い扱いを受けているのを、多少なりとも目にしたことがあると思う。
中には表現の自由を奪うものもあり、悪質だと感じるものもある。

しかし、これはあくまでオタクの目線にたって考えた場合のみで、その辺にいるオタクコンテンツとは無縁の人、出来ればオタクコンテンツとはあまり関わりを持ちたくないような人、という無害な第三者の目線にたって見た場合、オタクコンテンツを発信している人、オタクコンテンツが純粋に好きな人は、周りの人のことも考えて発信できているだろうか。


もちろん表現の自由は守られるべきであり、他人の目を気にしていてはコンテンツの発信なんぞできようはずもない。


しかし、近年このオタクコンテンツが様々なところで認められつつあることをいいことに、ある程度肩身の狭かった過去の扱いも反動もあってか、オタクの自己主張も目に余るようになってきたと思う。


好きなコンテンツをアピールし、発信する。これはとてもいい事だ。自分の好きなコンテンツが別の人にもいいと思ってもらえることは嬉しい。

しかし、まず最初に考えねばならないのは、オタクコンテンツとは基本的に人を選ぶものなのだ。誰もが認めてくれる、誰もが時代と共に価値観をアップデートし、オタクコンテンツが好きになる、なんて言う都合の良い話はない。

きっとオタクコンテンツが嫌いな人、そんなに好きではない人、日常であまり干渉して欲しくない人、そのような人達はそこそこいると思う。


かく言う自分もオタクである自覚はあるが、この曖昧で定義すらしにくいオタクであると自覚のある人間なら、「修学旅行のバスでボカロやアニソンを流す」「修学旅行のしおりの表紙にコミック調のイラストでデザインをする」「美術の授業の課題で、アニメ調のイラストを作品にし、画力は高いものだから展示されてしまう」といった、思い出が、自分自身、もしくは自分の周りの人に経験したことがある人も中ににはいるのではないだろうか。


これらは1部で褒められる一方、オタクコンテンツと関わりがないような、あまり嬉しくないと思うような人も一定数いるわけで、そのような人達に「あまり嬉しくない」ことばをかけられて、苦い経験をしたことがある人もいるのではないだろうか。


オタクはこのような経験を経て、自分の趣味を必要以上に人に人にアピールしなくなる、仲間内で盛り上がって楽しむ、ということを覚える。




しかし、これらの経験を経ても、それが身につかず、周りに対する配慮を知らないオタクが、近年色々なところで「表現の自由」を武器に微妙な争いをしているように感じる。



例えば梅田ロフトの女の子の半裸のイラストの件や、温泉むすめの件などで、必要以上に批判を受け入れない人達がこれに該当すると思う。


それぞれ当事者が合意して決めたことであり、それを行うことは特に問題は無いが、「ロフト」「温泉」など、オタクコンテンツと無縁の人も多く利用する(むしろ無縁の人の方が多いかもしれない)ところで、堂々とそのようなコンテンツを前に出して発信してしまえば一定の批判が飛んでしまうのは仕方ないように思える。


好きなコンテンツを批判されて悔しい、腹が立つのは仕方がないが、ある程度オタクコンテンツとそう出ないコンテンツで不可侵を守ることで調和が取れていたところに、(秋葉原や大阪日本橋のようにオタクの街というものが地区で限定されている等)自分たちから無関係なコンテンツに今回は踏み入っているように捉えられても仕方が無いのだから、表現の自由を優先し、コンテンツを突き通したいのなら、一定の批判は付き物であると割り切ってしまうのが筋である。

真正面から批判意見を「差別」だの「権利の侵害」だの面倒な方向へ話を進めるのではなく、とにかくコンテンツを排除しようとする人達やとにかく人を批判したがる人達に付け入る隙を与えないようにすべきであると個人的にはどうしても思ってしまう。


結局批判してきた人を正々堂々上手く言いくるめて何とか権利をもぎ取っても、それは悪目立ちであり良い印象を抱く人は余りいないだろう。



例えば学校の休み時間にクラスの陽キャが自分たちの机の周りでたむろしていて、座れなくて困っていたとする。
どいてくれと頼んだら
「法律に触れてますか?休み時間なんだからどこにいても自由ですよね!!」
とか言って反論されたら喧嘩になってしまうだろう。
大抵どいてくれと言えば、軽く悪い悪いと会釈されてどいてくれることがほとんどだ。社会とはこうやって上手く成り立っているのだ。


コンテンツを守りたいのなら、社会で上手く立ち回らねばならない。
それが出来ない人はオタク自らがオタクコンテンツをどんどん社会の片隅に追いやって、コンテンツ自体を潰しかねないということを理解できないだろう。


何でも規制しようとする人、とにかく批判点みつけようとする人、とにかく女性蔑視に繋げようとする人達に、オタクコンテンツを規制させる隙を与えてはいけない。


いくら表現の自由が守られるべきであったとしても、それを盾になんでも主張していい訳では無い。
社会と共存したいのなら、相手のことも考えないといけないのだ。これはオタクコンテンツに限った話ではない。どんな物事においても言えることだ。



最近のオタクは、このようなことすら分からなくなってしまったのかと思うと悲しいことこの上ない。