大人になる
さて、僕は今年で21歳。あと1週間弱で184104時間この世界に自分を刻んだことになる。
こういうSFにありがちな無駄な時間表記、すごい好きだ。
そして、それと同時にヤラハタからヤラ21へと昇格する。
心や知能や経験は変わらないのに、皮肉なことに体だけは勝手に大人になっていく。
成人してからほぼ1年。そろそろ大人になることについて真面目に考えなきゃいけないな、と思う。いや、おそすぎるか。
大人になる。年齢的な定義では20歳で成人する。でもここで触れたい大人になるとは意味が少し異なっている。どちらかと言うと、思慮深くなる、とか、頭が良くなる、とか、行動に責任が伴う、あたりの方が近いと思う。
たしかに、思慮深くなったり頭が良くなったり責任感を感じるようになるのは大人になることなのかもしれない。成長することはいい事だ。だけどこれは大人になる事を「良い事」だという視点でしか捉えられていない。大人になるとは、悪いことではないが、どこかもの寂しく感じることもあるので、この感覚をもっと探りたく思う。
今から2つのタイプの人間を挙げる。
・明るくてやんちゃな人
・物静かで落ち着いてる人
これを見て、大人に近いのはどちら?と聞かれれば十中八九後者を思い浮かべるだろう。僕もそう思う。
そして前者の明るくてやんちゃな人は、子供っぽい、と言われがちだ。子供は明るくでやんちゃだ。無邪気で感情の赴くままに行動し、体で表現する。
物静かで落ち着いてる人は、何も昔から物静かだった人ばかりではないだろう。成長とともに無邪気さや明るさ、やんちゃさを抑え込み、いつしか物静かで落ち着いた物腰に変わる。
これを俗に大人になると呼ぶのだろう。
無邪気さ、明るさ、やんちゃさ、純粋さ、無知...
様々な子供の特徴を、大人で上書きして、塗り替えて、いつしか忘れ去る。
子供の時の無邪気な記憶は、明確に過去として処理され、同じ自分であるにもかかわらず、まるで別人のように区別される。
当時の頃のようにはなれないんだろうな。成長は何かを犠牲しているのだ。
でも、ずっと無邪気でありたいし、できるだけ当時の自分を残していたい。
本当にダメだった所だけ、上書きして正して、最低限の大人になれてたらいいなぁ。
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