仮面(元)、1Kの隠れ家

心が暇なので、厨2病だった頃に思いを馳せて、痛々しいものを書きたい

ガキの頃の記憶②

これはまだ僕が富山県氷見市に住んでいた頃の話。
海辺の漁港付近に住んでいたので、夏はよく海辺で花火なんかを楽しんでいたりした。田舎の夏休みってやつだ。
花火といえば松山でもやったことがある。とある大きな公園で夜中に寮を抜け出して花火を10人くらいとしに行った。公園の警備員に見つかって追いかけられて、勢いでマクドナルドに行ってダブルチーズバーガーを食した。
話を元に戻そう。
田舎の花火とは楽しいもので、花火ひとつで様々な親戚の人が集まる。ざっとこれも10人から15人くらい居たと思う。まだ当時は3歳とかだった気がする。
どっかで見たが、人は3歳までの記憶は脳の細胞が新たに作られるのと共に、なくなってしまうらしい。つまりこの話は僕の記憶が9割くらい失われている中での曖昧なものだ。
だから僕がその時見た女の子が実在するのかどうか、よく分からない。ただ、隣にちょっと年上の女の子が居た。一緒に花火をしていて、足に花火が当たって火傷していた。とても痛そうだった。




幼稚園の頃の話だが、僕は年中からの編入組だった。その幼稚園は年少からの在来組半分、年中からの編入組半分、年長でそれらが統合される。その時一緒に編入クラスにいた人にO君という人がいた。O君とはその後小学校でも同じクラスになることも多く、結構仲が良かったと思う。小学校の卒アルにもO君の寄せ書きがある。
そんなO君とは幼稚園の編入クラスで出会った。最初は全く話さなかったと思う。というかおそらくお互いに存在を認識していなかったと思う。
ある日、給食でホットドッグが出てきて、何故かその日は以上に早く食べおわってしまった。うちの幼稚園は、早く食べ終わったら待機所のような空間で待機しておく必要がある。いつもなら1人また1人と机を離れ、ポツポツと給食の時間が終わるのだが、なぜだか異常に早く食べ終わってしまい、周りの人たちはしばらく食べ終わる気配がない。
一人を除いては。
そう、O君だ。
なぜだか知らんが、こいつも僕と同じでホットドッグを異常な速さで頬張っていた。僕らは初めてお互いを認識した。2人同時に待機場に移動して、当時はよく分からなかったが確実に気まずさなんかを感じていたのかもしれない。
するとO君は、
「お前とは友達じゃないからな。」
と言って話しかけてきた。

ほんの20秒ほどの邂逅である。






幼稚園繋がりだが、年長の時、甘い3角のお揚げが乗った小さなうどんが出た。何故か当時きつねうどんのお揚げが大好きだった。あのいなりみたいなやつ。
配膳を終え、いただきますの挨拶を行った直後、ボクは誰の目にも止まらぬ速度でこのいなりみたいなお揚げを口に放り込んで飲み込んだ。
そしておもむろに立ち上がってうどんの器を先生のところに持っていき
「いなりが入ってませんでした。」
と言った。
「あら、そんなことあるのね。下の給食室に取りに行ってきなさい。」
僕は言われた通りに給食室にいなりのようなお揚げを貰いに行き、教室に戻って今度は普通に食べた。
なぜこんなことをしたのか今でもよく分からない。




これは幼稚園に入る少し前、半年ほど簡易児童預かり施設のようなところに預けられていた。両親共働きで僕のめんどうを見てられなかったのだ。
ちびっこ、ナントカみたいな名前だった気がする。
思えばそこが最初に自分の身内以外のコミュニティと触れたところだったと思う。なので今でも色んなことを鮮明に覚えている。
例えばここの歌(園歌とか校歌の類)と幼稚園の歌(園歌)は主旋律が等しい単なる改変ソングだったということ。何かそういうフリーの音源があったのだろうか。よく分からない。
それから、3時には必ずそこそこ豪華なお菓子会があった。市販のスナック菓子、チョコレート菓子等数種を大きなお皿にぶちまけられてみんなで食べる。
また、この施設はどうやら僕が入った年で閉まる予定だったらしく、最後は盛大にたこ焼きなんかを焼いてパーティをしたと思う。いいとこだった。