仮面(元)、1Kの隠れ家

心が暇なので、厨2病だった頃に思いを馳せて、痛々しいものを書きたい

日常と非日常

朝起きて布団をたたみ、そのまま座布団を布団のあった所に敷いて夕方まで座りっぱなしで過ごす。

シャワー浴びたり飯を食ったらまた座布団に座ってテーブルの前で過ごし、布団を敷いて寝る。


こんな30年前のヒキニートのような生活を習慣化してる人は居ないだろうが、大抵の人は習慣化、マンネリ化した平日の生活を日常として生きている。
そして休日に習慣化した毎日とは違う小さな非日常をほんのちょっと楽しんで、また日常に戻る。

そして年に1、2回程度の休みに普段しないような非日常(例えば旅行や贅沢な食事)を楽しんで、日常と非日常のメリハリを付けて生きている。


では、毎日がそんな非日常で構成されたら?それこそ仕事も学校も無く、遊び、旅行し、美味しい食べ物を食べ、好きなように自分の時間を使う。

そんな生活が出来たらいいのに、と1度は考える人は多いのではないかな、と思う。

ぼくもよくそんなことを考えてた。習慣化する生活に終わりが来たら、また別の生き方が見つかるんじゃないか?なんて考えたりもした。


でもそれは大きな間違いであると思う。


世界にはさっき言ったような非日常を永遠に行える富豪が一定数いる。でもきっと彼らからしたらその毎日の贅沢や旅行が日常で、彼らなりの非日常がきっとあるのだ。

富豪だとか使う金額とか、庶民的とかそういうの抜きにして、人は日常と非日常のメリハリがないと生きていけないんだと思う。

これが無くなるとまずいと思う。
世の中にいる普通水準の生活をしている自称鬱病の輩はさておき、本当に寝たきりでひきこもってる人は、心の病だと思う。


常に日常と非日常のメリハリをつけること。
日常だけになってはいけないし、非日常だらけでもよくない。



これこそが生きていく上で大切だと思う。



国語の先生が昔言ってた。